人生の原動力 ~中学時代編~

前回は、過去のことを振り返って、「ものごとの仕組みや構造を知ったり、見つけたりする感動」が、僕の人生の原動力の一つになっているという話でした。
 
幼稚園・小学校のとき、その感動の対象は宇宙であり、科学であったということでした。
 
また新たな世界を知ることができた!、という感動がありましたね。
 
今回は、中学時代編です。
 
 
 
中学校に入っても宇宙・天体への興味は続きますが、さらにそこに哲学に対する興味が加わりました。
 
その興味は、学校の勉強じゃなくて、塾の授業から生まれました。
 
その塾は、大手の塾の目の前にある、吹けば飛びそうなどうみても弱小にみえる塾でした。
 
そんなに広くない中、1部屋で仕切り無しのすし詰め状態で3クラス授業を行うような感じでした。
 
塾なんか入りたくなかったのですが、小学校の5年生くらいの時に割り算が苦手だったせいか、塾に入ることになりました。
 
 
その塾には、普通の授業とは別に科学実験教室というのがありました。
 
それは、液体窒素を使ったり、静電気の実験をしたり、金属を燃やして炎色反応を観察する実験があったり夢のような時間でした。
 
マジで胸熱でした。
 
 
両親の塾への入れ方も上手くて、その実験教室に通えるからプラスで普通の授業も受けてねという入れ方で、まんまと塾に入ることになりました。
 
とはいえ、小学生の時は、そんなに成績がいいわけではありませんでした。
 
中学入学前の授業で、先生が「中学最初のテストで中学3年間の成績が決まります。最初のテストの順位が中学3年間の平均の順位になります。」という話をしました。
 
そういわれると、友達にもう負けたくない、勝ちたいという思いもあり、かなり本腰を入れたら学年で5位に入ることができました。
 
勉強ができるようになると、どんどん勉強が好きになるようになり、塾の授業も好きになるようになりました。
 
 
 
 
中学になると、高校受験を視野に入れた内容の授業になっていきました。
 
一番胸熱な授業が、国語でした。
 
大きく分けて、小説と評論文の授業でした。
 
先生が大学の数学科出身だったのもあってか、文章の構造や本質を掴んでいくのに力点を置いていました。
 
 
小説だと、ストーリーを一文でまとめました。
 
「小説は、99.9%『〇〇(主人公)が■■して(になって)成長する物語。』でまとめられる。」というのを教えてもらいました。
 
このことも感動でした。
 
確かに、ほとんどの小説が、主人公の成長物語になってる、「すげー!」と思いました。
 
0.1%の例外には、東野圭吾さんの『白夜行』があるとそのとき言ってた記憶があります。
 
 
評論文は、「二項対立構造(二元論)になっている。」と教えられました。
 
二項対立(二元論)というのは、善と悪、男と女みたいに2つの正反対の関係性のことです。
 
評論文の場合だと、「常識(や当たり前とされる考え)」に対して「筆者の主張」という逆の考えが示された二項対立構造になっているということでした。
(「常識」⇔「筆者の主張」)
 
例えば、「電車ではお年寄りに席を譲るべきだ。」という常識があるとして、それに対して「筋力の低下によって老化が進むのだから、お年寄りは立つべきで若者こそ席にすわるべきだ。」という筆者の主張を示すみたいな感じで評論文は成り立っています。
 
こういった構造になっていると知ったのも感動でしたが、常識とは違う考え、視点というのにも魅力を感じました。 
 
そして、なぜ評論文は二項対立構造なのかというと、現代人の思考の枠組み(パラダイム)がそうなっているからだということでした。
 
例えば、「美人」と聞いたら「ブス」といった言葉が、「男」と聞いたら「女」といった対義語や対立する概念が無意識に頭の中では浮かんでいて、それが現代人の思考になっています。
 
 
 
科学が発展したのも二項対立という思考法のおかげです。
 
科学は、ある現象を合理的に説明できる法則を見つけようとします。
 
ある現象、例えば「なぜ鉄はサビるのか」という法則を見つけるとします。
 
ここで、分析⇔統合という二項対立を使います。
 
まず、鉄に触れている空気を分析(要素に分けていく)していきます。
 
空気には酸素が含まれていることがわかり、水も含まれています。
 
いろいろと途中の流れは端折りますが、分析することで、鉄は酸素と水とくっつき、酸化鉄(サビる)になることでより安定した状態になろうとすることがわかります。
 
分析することで、鉄は安定した状態になるために酸化するということがわかり、ものは安定状態になろうとするという法則も見えてきます。
 
つまり、物事を要素に分ける「分析」をし、その分析を一つにまとめる「統合」という作業をすることで現象を説明できる法則を発見し、科学は発展していきました。
 
 
 
さらに話を進めると、この二項対立(二元論)という思考法は、近代哲学の父 デカルトから始まったと知りました。
 
そこから、哲学という沼にハマっていきました。
 
 
長くなってしまったので、ここからは次回にします。
 
次回は、人生の原動力 ~まじで胸熱哲学編~です。
 
では、また ♪