かつての日本人がアクセスしていた情報
以前の記事で、国家観や精神性が共有されていないことが、日本の国防戦略や政治・経済のボタンの掛け違いにつながっているのではないか?、という話をしました。
今回はなぜ、それらが共有されていないことがボタンの掛け違いにつながるのかという理由と国家観・精神性とは何かというのを話します。
そして、戦前や明治維新以前の日本人がアクセスしていた情報を共有します。
ボタンの掛け違いの理由として、戦略の階層性という考え方が前提知識としてあります。
戦略と戦術は異なるという話を聞いたことがある人もいるかもしれませんが、それらには階層性があるという話です。
上から
世界観
↓
政策
↓
大戦略 ⇧ 戦略
↓ ーーーーーーーーーー
軍事戦略 ⇩ 戦術
↓
作戦
↓
戦術
↓
技術
一番上が国家理念だったりして、細かいカテゴリーは国際政治学者や地政学者によって違いますが、戦略には階層性があります。
上のカテゴリーほど抽象的で、下に行くほど具体的なものになっていきます。
より上のカテゴリーが下の階層のカテゴリーに影響を与えます。
そして、大戦略以上を戦略、軍事戦略以下を戦術として大きく2つに分けることができます。
軍事に当てはめると専守防衛という方針が戦略のレベルで、それを実現するための軍事行動が戦術となります。
戦略レベルは、主に政治家や官僚中心で担当し、戦術レベルは軍中心に担当します。
シビリアン・コントロールとも関わってくるのですが、ここでは詳細は割愛します。
政治と軍でそれぞれ役割分担があるという話です。
この階層性について詳しくは↑のリンクで解説されています。
階層の一番上に世界観があります。
この世界観は、「日本はどういう国か?」という国家観であったり、歴史観、精神性といった抽象的なものが入ります。
上のリンクの記事では、日本人にはそういったものが無いと書いてありましたが、僕自身は無いのではなくて、戦前や明治維新よりも前に共有されていたのに、共有されなくなってしまっただけだと思っています。
この世界観が共有されてないから、それより下のカテゴリーの戦略や戦術の掛け違いが起こっています。
戦略の階層性は、国防戦略のような軍事的なことだけでなく、経済政策や教育政策など、国の運営に関わることすべてに応用できます。
そして、一番上の世界観が共有されていないことが、国家運営のあらゆるところにも波及していると感じています。
ところで気功ができる人向けの話になってしまいますが、日本人という概念を気の球で作ってみてください。
その気の球の情報が自分や自分の身の周りの人にマッチしているかどうか、仮にその気の球を身体にいれることをシミュレーションしてみて、入りそうかどうか見てみてください。
入る人もいますが、ほとんどの人はシミュレートしても、入らないことが多いです。
なぜかというと、日本人の間で世界観が共有されていないからです。
この世界観を自分の中にいれることで、日本人の気の球も自分にマッチするようになります。
この世界観が入ることでかつての日本人がアクセスした情報につながることができます。
それを2つ紹介します。
1つは国家観です。
以前の記事で、戦後、天皇が人間宣言をしたと日本史で習ったけど、その原文を読むと、天皇は一言も現人神の神格を否定して、人間であることを宣言した文言がないというのを読者の方にも確認してもらいました。
その原文がわかりやすくのっているリンク先に、「シラス」と「ウシハク」という日本独自の統治システムが解説されていました。
【中学歴史・国史(日本史)】シラスとウシハクについて解説 | 社会科ポータルサイト
日本の場合は、王様1人が全てコントロールしていたわけではない独自の統治システムがあったという話です。
祭祀の長である天皇が人民に寄り添い、祈り、その天皇に任命された権力者が力を背景に人民や土地を支配するというように、祭祀と権力が分離されていました。
↑のリンクでは、天皇が中心という書き方をしていますが、僕自身は人民・国民がいるから天皇という役割を果たすことができるので、人民・国民中心に祭祀と権力が分離されて統治が行われていたと理解しています。
このシラス・ウシハクの考えを気の球にして、自分の身体に入れると、かつての日本人がアクセスした情報にアクセスします。
日本人の気の球と自分がマッチするのもわかると思います。
気功に触れたことのない人の場合は、上のリンクにある図のイメージを口から身体に入れるイメージをすると入ると思います。
ということで、日本の国家観についてでした。
もう1つは、精神性です。
それは、明治維新によって壊されたものです。
明治維新で、神道は天皇を唯一神とする国家神道に塗り替えられ、かつての精神性が破壊されました。
かつては、古神道があり、森羅万象に神が宿るという多神教的な思想がありました。
そこから八百万の神々を崇める日本人の精神性が育まれました。
この森羅万象に神が宿るという精神性を気の球にし、自分の身体に入れると先ほどとは別の情報にアクセスします。
江戸時代までは、神前で読経するといったことが行われるなど、神道と仏教は混ざった形になっていました。
それは、森羅万象に神が宿るという精神性があったからです。
それが明治政府により神仏分離政策が行われ、国家神道というキリスト教をモデルにした一神教に塗り替えられ、精神性が失われました。
ちなみに、こうした政府の政策にも関わらず、修験道の中には神仏習合の精神があり、森羅万象に神が宿るという精神性が受け継がれています。
なので、修験道の行者の人たちは、日本人の情報にアクセスしています。
ということで、国家という概念が生まれる前から、こうした精神性が育まれていて、そうした情報にアクセスする方法を紹介しました。
ちなみに国家観については、こちらの本にも記載されていて、参考にしました。
真説・国防論 | 苫米地 英人 |本 | 通販 | Amazon
かつての精神性、古神道についてはこちらを参考にしました。
この本は、気功仲間に教えてもらい、かつての日本人の情報を見つけるきっかけになりました。
まずは、「信じる」ことをやめなさい ~脳、宗教、歴史からわかった人を操る「サイン」の秘密! 騙されずにこの時代を勝ち抜くただ一つの方法 | 苫米地英人 |本 | 通販 | Amazon
そして、シビリアンコントロールと戦略の階層性との関係は、インテリジェンスの方が台湾有事に関して解説している記事の中で語っています。