解釈は解釈として、現象は現象として

最近自覚するようになった違和感を言語化してみます。

 

自分が言ったことだったり伝えたいことのコアだったりが、上手く伝わってなかったり、一部だけ切り取られている感じがあったり、別の解釈をされてしまったり、みたいなことを感じることがちょこちょこありました。

 

そもそも、人はそれぞれ認識に上がらないこともあったり、100%分かり合えるということはないですし、僕の伝え方の問題もあると思いますし、そういうものなのかもしれません。

 

そして、逆に他の人が伝えようとしていることのコアを、僕が一部だけ切り取ったり、解釈を入れてしまったり、認識できてなかったりしてきたと思います。

 

 

そこで、いくつか気をつけた方がいいことがあるかもと思いました。

 

1つは、しょうがないことだけど、そもそも他人も自分も認識に上がってないものがあったり、見たいように世界を見てしまっているというのを改めて認識する必要があるということ。

 

もう1つは、解釈は解釈として、現象は現象としてそのまま受け取るということ。

 

何か実践したとか、情報空間上の発見をしたとか、何か現象を経験したとして、それを他の人にいくらでも説明できたり、人から説明されても、それは解釈にすぎないから現象は現象としてそのまま受け取るということ。

 

これは出来るのかわかりませんが、どこまでいっても解釈でしかないというのは認識しておく必要はあると思いました。

 

現象の前では、どんな言葉も無力な感じが最近します。

 

無力じゃないけど、無力といえば無力。

 

解釈することで、その情報から何かを再現できたり、応用できたり、便宜上便利だし、それはそれで大事だけど、解釈は解釈。

 

こんなこと偉そうに書いてもいいのかと思いつつ、頭の中の違和感を言葉にしてみました。

 

 

世界的イノベーター濱口秀司に聞く、「日本が世界に勝つために必要な力」とは? - YouTube

 

数か月前に「ビビッ」ときた動画ですが、これに関して、今なら知っている理論に当てはめて6個以上は記事にできるような感じがありますが、この人の掴んだコアを同じように掴めてないのであれば、その言葉は無意味だと思いました。

 

 

【ふぉい】恋愛でモテる男について残酷すぎる正論を視聴者にぶつけしまうふぉい【DJふぉい切り抜き Repezen Foxx レペゼン地球】 - YouTube

 

東大生のセ●レがいた時の話【レペゼン DJふぉい切り抜き】#repezenfoxx - YouTube

 

最近、ちょこちょこ見ているふぉいの話です。

 

勝ち負けとかはないし、そういう感じでもないんだけど、ふぉいの前では僕は無力な感じがします。

 

抽象度上げることは意味があるんだけど、それだけじゃない何かがある感じがします。

 

ふぉいの言っていること、みた世界が絶対的真実ではないけど、無数にある真実のある種の真実が含まれていると思いました。

 

もはや抽象度という言葉を使うのも解釈な感じがします。

 

 

現象は現象として認識して、そのコアにあるものをわかったときにお互いに分かり合うみたいなものが生まれるのかもしれません。

 

ある配信で「女との話って国語だよね」っていう視聴者のコメントに対し、「間違いないわ、向こうの気持ちを答えなさいしかないからな、ずっと。」ってふぉいが答えてていました。

 

これに限らず、コアを掴んだ同士でわかりあえる何かがあるのかもしれません。