怒りに気づくって、けっこうむずいね。

何か月か前に、気功の先輩が「モテるには精神性をあげるといいですよ」というのを気功をやっているモテたい人向けに話をしていました。

 

その時は、絶対嘘じゃんって思っていました(笑)

 

ステキな人になればたくさんの縁起がつながって、いろんなサポートも得られるみたいなことで、人間的に尊敬されるとかそういう意味ではそうだとは思いました。

 

でも、女性にモテるとかそういう意味では絶対違うと思っていました。

 

理論上は、精神性をあげれば女性にモテるかもしれないけど、現実の運用上はそうなるとは限らないと感じていました。

 

例えば、無償で社会のためにボランティアする人がいたり、性格が良くて女性に優しい人も世の中にはいるけど、人間としては評価されても、男女関係として評価されるかは別問題じゃんと思っていました。

 

 

だから、モテるはモテるで、精神性を上げるは精神性を上げるで、別々にやっていけばいいんじゃないとそのときは思い、特に何も反論や質問することもしませんでした。

 

質問しても、僕よりも抽象度高いし、心の中にモヤモヤが残ったままなんだけど、言い負かされるというか、うまいこと包摂されて話が終わりそうな感じがしてたというのもあり、詳しく話を聞こうとは思いませんでした。

 

 

そのアドバイスした先輩気功師のことは尊敬しているし、お世話になっている感謝もあるのですが、「精神性をあげる」というアドバイスに関しては、僕の中では論理的な反論だけじゃなくて、今振り返ると感情的な怒りみたいのがありました。

 

 

自分の中で納得いっていなくて、結局その後いろいろ質問するのですが、質問してもまだ納得できていませんでした。

 

しばらくして「精神性を上げる」の先輩の説明が最終的にアップデートされて、そこでモテると精神性を上げるというのが、自分の中で一応整合的につながりました。

 

社会的に善人も悪人に対しても、相手の考えや悩み、生き様、不安、欲望あらゆることをこちらが「受け入れた」うえで、アドバイスしたり、相手の考えに納得できる人、それができる人が精神性が高い人という話でした。

 

戦争を仕掛けている人に対し説得するにしても、相手の欲望や不安、野望、価値観などを受け入れていないと、相手は聞く耳すらもたないという意味でもありました。

 

 

最初の「精神性をあげる」の話の時は、キリストみたいな聖人になればモテますみたいに聞こえました。

 

ヤクザとかヤンキーとか社会的に悪人とされている人もわりと女性にモテるのに、そういうことは含まれていないように聞こえました。

 

 

しかし、善や悪の上の視点に立った上で、相手の根底に流れるキレイには整っていない混沌としたものもリアルに感じたうえで、受け入れるという「精神性を上げる」の説明は腹におちる感じがありました。

 

 

その話に納得した上で思ったのが、僕が「精神性をあげる」話に対し、しつこかったのは、怒りとかそういう感情的なものがあってのことなんだなと感じました。

 

別の話になりますが、この世や人に対する怒りがあると、気を上手く使えないという話を最近聞いてて、まさにそれと関係していると思いました。

 

 

話が変わりますが、小学校~高校って、「清く、正しく、美しく」を先生に見せていれば、評価されるって僕は思ってて。

 

1人1人の個性が大事って口ではそういう風に言うけど、それは偽善で、実際は先生の思う「清く、正しく、美しく」を反映した生徒像が大事なんだろうと思っていました。

 

勉強を真面目にやっていたり、ボランティア活動に積極的だったり、もちろん校則はちゃんと守ってて、先生の指示に従う生徒みたいな模範解答をみせるのが、先生や学校にとってうれしいことなんだろうなあと思っていました。

 

世の中きれいなことだけじゃなくて、偽善ってあるよねって思っていました。

 

先生に歯向かってもそれはそれで面倒なので「清く、正しく、美しく」を演じるけど、心の中ではそれに対し中指を立てていました。

 

 

で、恐らく冒頭の「モテるには精神性をあげるといいですよ」というのと「清く、正しく、美しく」みたいな模範解答がダブって見えて、感情が出てきたのだろうと気づきました。

 

物静かな人はけっこうこの世や人に対する怒りがある人が多いですが、それはそれを表現して外に出す以前に、自分の中のそういったものに気づいたり、受け入れられてないということでもあるのだろうと実感しました。

 

精神性の高い人が相手を受け入れることで、その相手自身も自分の混沌としたものを受け入れることにつながり、結果としてさらにその人自身の精神性を上げることにもつながっていくのかもしれないです。

 

逆もしかりで、結果として相手の精神性が上がると、自分の精神性も結果として上がっていくのかもしれません。