日常と非日常

前回のブログでお伝えしましたが、先週末に熊野古道に行ってきました。

 

これまで比叡山高野山、高千穂など、いろいろな霊場に行ってきましたが、ここはここで他の場所にない特別な空間でした。

 

熊野本宮大社など、聖地と呼ばれるスポットはいくつかありますが、そういったスポットにいなくても、熊野という地域全体が聖地と呼べる場でした。

 

縄文時代の空気感や生命エネルギーの生々しい感覚を体感できる場でした。

 

ただ、その分東京に帰ってきてからも情報処理が大変です(笑)

 

 

いろいろなスポットは巡ったのですが、それをいちいち記事にはしないと思います。

 

今のところ、うまく言語化できないです (^▽^;)

 

ということで、熊野古道に行ったという話でした。

 

 

今回は、熊野古道から東京に帰るときに気づいたことがあったので、それをシェアしようと思います。

 

僕にとって、熊野古道は非日常の体験でした。

 

で、東京に帰るときになんか抵抗感がありました。

 

なんか日常の面倒くささみたいのを感じたのですが、日常空間というのが頭の上の方にあるのに気づきました。

 

そして、同時に非日常空間もありました。

 

 

日常空間は誰しもあるみたいですが、非日常空間はある人とない人がいるみたいです。

 

僕は、非日常があるから日常が充実し、日常があるから非日常が充実する感じがしたので、とりあえず非日常空間は残しておきました。

 

日常空間には、汚れというかノイズみたいなもの、人によっては黒っぽく感じる何かがあったりしますが、それを取ると身体が楽になります。

 

気の球を作れる人は、日常空間と思って、気の球を作ってみて、汚れを取ってみるのもありです。

 

非日常空間にも何か汚れみたいのがある場合も同様にやってみるといいです。

 

さらに、日常空間と非日常空間を包摂する上の空間もあり、そこにも汚れがある場合があるので、同じように取り除くこともできます。

 

もちろん、気の球でやってみるのもありです。

 

 

日常空間に関しては、それなりに重さがあり、それを身体で支えています。

 

日常空間を軽くしてみたら、楽になるのかなと思って試してみましたが、なんかバランスが悪くなった感じがして、僕は元に戻すことにしました。

 

ここに関して、軽くした方が良かったぜ、とかそのままの方がいいぜ、とか何かわかった人がいれば、どっかで会ったときに耳うちしてもらえたら、ありがたいです。

 

 

さらに、日常の疲れ空間もあって、そこから疲れを取ってみるとそれはそれで、身体が楽になります。

 

疲れは、さきほどの汚れみたいな感じです。

 

それを取っていきます。

 

 

旅に出ると日常からは情報的にも物理的にも離れるので、普段気づかないことにも気づけるもんなんだなぁと思います。

 

そういう意味でも、旅というのはいいものです。