目の輝き以外に、『トップガン』から観えたもの
以前投稿した目の輝きの記事で、映画『トップガン』に触れました。
僕はリピートせずに1回しか観てないですが、いろんなことが観えてきたきっかけになりました。
その1つが、目の輝きでしたが、日本の国防や文化などを今一度振り返ることにもつながりました。
2つほど、「ハッ」とすることがありました。
1つは、その制服のまま基地の外の街中に出て、酒場に行き、お酒も飲んでるシーンがあります。
それが日本の自衛隊だとあり得ないので、気づきというか「ハッ」としました。
もう1つが、自衛隊の人たちの役割は重要ですし、貶める意図はないのですが、米軍の方が制服がカッコよく見えました。
どこかスマートで、機能的に観えました。
とはいえ、その違和感からいろいろと調べているうちに戦前の大日本帝国の軍隊の制服はカッコよく見えたので、これは何なんだろうと思いました。
第6回東京ボーイズ・コレクション ~陸・海・空自衛官~ - YouTube
【日本陸軍】永遠不滅!日本の軍服とその種類【歴史解説】 《日本の火力》 - YouTube
French army band medleys Daft Punk following Bastille Day parade - YouTube
北朝鮮や中国の軍事パレードを見ても、カッコいいと言ったら怒る人もいるかもしれませんが、スマートさがありました。
分かったのが、制服の物理的なデザインの力の入れ具合もあるかもしれませんが、情報的に制服そのものと着ている人がマッチしているかどうかによる違いということでした。
小学校に初登校する子どもを観ると、子どもがランドセルを背負っているというよりも、ランドセルに背負われているみたいな姿を見たことがあると思います。
子どもとの対比で、ランドセルの大きさや重さなど物理的な側面での見え方で、そういう風に見える部分もあります。
しかし、情報的には子どもがまだ小学生というものに慣れてないからランドセルと子どもが情報的にマッチしていなくて、そのギャップがランドセルに背負わされているみたいな感じで物理的に見えるのだと思いました。
同じように、情報的に自衛官という概念と制服を着ている人がマッチしていないからそのように見えるのだと思いました。
これは自衛隊だけでなく、警察や先生、官僚など他の公務員もその概念とその職業についている人が情報的にマッチしていません。
自衛隊や警察の場合は、その職業の概念という情報的なものを物理的に見えやすい形として制服があるので、概念と人とがマッチしているかどうか、わかりやすいと思います。
制服のない公務員である先生や官僚の場合は、気功ができる人は気の球を作ってみるとわかりやすいです。
先生という概念を気の球としてつくってみて、実際の先生とその気の球がマッチするかみてみると観えてきます。
この概念とのギャップは他の部分でもみることができます。
例えば、紋章やトレードマークです
アメリカのFBIも行政機関の一部ですが、その紋章と厚生労働省などの役所のトレードマークを比較してみると、マークと概念がマッチしてるかどうか観えてきます。
しかし、例外もあり、日本の公務員や行政機関の中でも概念とマッチしている機関や紋章もあります。
宮内庁のマークや総理大臣の記者会見で使われる「五七の桐」や皇室の紋章である「菊花紋」はそのものの概念とマークがマッチしています。
https://www.kantei.go.jp/jp/q&a/archive/20040805a.html
そして、皇室の方々を警護する皇宮警察も制服を着ている人とその制服(概念)がマッチしています。
皇宮警察が皇居で年頭視閲式 部隊が華々しく行進 - YouTube
考えてみると、戦国時代の甲冑もカッコいいですし、武田家とか徳川家とかの家紋もカッコいいです。
日本の家紋は、ルイ・ヴィトンのモノグラムに影響を与えているともいわれています。
なので、もともとは日本も欧米の紋章や軍隊のように概念とその物理的なものがマッチしていたのです。
ここまで紹介してきた諸々のことを総合して、僕は戦前の日本人がアクセスしていた情報というのを見つけました。
それが日本人であればその情報、情報空間が日本人の味方をしてきたというのがわかりました。
それが失われてきていることが、制服と概念とのギャップにつながっているのだとわかりました。
日本人のほとんどが日本の国家観や精神性が共有できていなかったり、そういった概念のような抽象的なもの、情報が共有できていないから、そうしたギャップが生まれるのだと思いました。
(逆に言えば、他の国では精神性はともかく少なくとも国家観が共有できているのだとわかりました。)
そして、こうした情報の共有がされていないことが日本の国防戦略や政治・経済といった分野のボタンの掛け違いが発生している1つの要因だと僕は思いました。
ということで、もともと『トップガン』から始まった話ですが、海外とのギャップから日本の政治・経済・国防などに関して見つめなおすきっかけになったという話でした。
長くなったので、国家観とかって何?というのは詳しくは別の機会にします。