視点を増やすためにも感覚を開いていこう。
これまでの話を一言にすると、人間の認識の仕組みからすると人間には見えてない盲点がたくさんあるということでした。
今の認識が過去の記憶というフィルターを通して認識している。
だから、知らないものはそもそも認識にも上がらない。
そして、自分にとって重要なことしか認識に上がらないという話でした。
ということは、認識に上がっていない盲点の中に自分にとっての自由につながる情報がある可能性が高いということでした。
前回の話に出てきた「視点」という言葉を使うと、視点を増やすこと、視点を自由にすることで自分にとって盲点だった情報が認識に上がってきたり、物事への対処能力が上がってきます。
では、視点を増やすにはどうすればいいのでしょうか?
真面目にいろんな立場、職業にある人の本を読むというのも一つの手かもしれません。
ただもっと今までと違った情報(過去の記憶の外の情報)を認識に上げるには、感覚を開くというのが効果的です。
なぜか?
情報空間を認識に上げるには、感覚に気づく、敏感になっていく必要があるからです。
私たちは情報空間の世界に生きているというのを以前のブログ記事に書きました。
マトリックスの記事辺りにそうした話があります。
私たちが認識に上がっていない部分(盲点)も情報空間にある情報です。
以前話した情報空間を体感してもらった記事の中で、神社の鳥居をくぐると体感温度が変わるという話や東京や大阪など都市や地域ごとに雰囲気が異なっているという話をしました。
感覚で情報空間を認識にあげていくということでした。
視点を増やす、自由にするというのは、情報空間を認識する視点を増やす、自由にするということと同じです。
感覚にはいろんな感覚があります。
自分に馴染みのない感覚は、なんか嫌な感じがするかもしれません。
あるいは、自分の好きな感覚はずっとそのまま感じていたいと思うかもしれません。
本当に嫌なら避けた方がいいかもしれないし、実際に自由になるのに足かせとなる情報もあるのでそういうのは避けた方がいいかもしれません。
ただ、食わず嫌いだったり、慣れ親しんでないだけの情報もあるので、いろんな感覚に触れていって、食わず嫌いしてるなとか、この感覚好きだなとか認識に上げていきましょう。
それが、視点を増やしていくのにも役立っていきます。
実際にその感覚を感じるために物理的な現場に行くのが一番ですが、今の時代は動画という便利なものがあるので、動画でいろんな感覚を疑似体験していきましょう。
前回、科学は刃物みたいに鋭さがあるという話をしましたが、別の言葉にすると整った感じともいえます。
包丁でケーキを均一になん等分かにしてきっちり切り分けるような正確さがあります。
それを体感しましょう。
全部見れる人は見るといいですが、見れない人は止めても大丈夫です。
なんとなく、理科の実験室のような雰囲気だったり、汚いものを排除して、清浄なものだけを受け入れるような神社のサーっとした雰囲気に似た感じの感覚をなんとなくでも感じれたと思います。
文系、理系という切り分けはアホらしいものなのかもしれませんが、数学に一度挫折した身としては一種の結界みたいなものがあるような感じを僕は最初見た時感じました。
一方でこちらも量子論をテーマにしていますが、科学や数学に慣れてない人も見やすい感覚があると思います。
ヨビのりさんの動画もナオキマンさんの動画もどちらも二重スリット実験の話に触れたりしています。
ヨビのりさんは、現実にある現象を正確に説明しようとしているのに対し、ナオキマンさんは現象を説明する正確さより、私たちの住む世界の不思議さを量子論のお話も題材にしストーリー性を持たせ、エンターテインメントとして話をしているからです。
似たテーマでも目的や手段が違えば、その人の見てる視点も異なり、醸し出す雰囲気や感覚も違ってくるのです。
ストーリーを抜いて、構造だけを捉えようとするのが、科学や数学などの世界です。
逆に、ストーリーを重視しているのが小説や映画、テーマパークなどエンターテインメントの世界です。
科学の感覚とエンターテインメントの感覚の違いがなんとなくつかめたと思います。
1つ補足するとストーリーがある方が、人間はその空間に馴染みやすいという人間の特性があります。
もう少しいろんな情報空間を紹介したかったですが、少し記事が長くなったので、また今度紹介していきます。
本や動画など何か情報を得ている時に、その文字情報や言葉に注目しがちだったかもしれませんが、そのコンテンツが醸し出している雰囲気や感覚に注目してみると違った一面が見えてくると思います。
こんな感じで感覚に注目して街中を歩いてみたり、友達と話していたりすると、今までの過去の記憶にない発見があったりします。
感覚を開いていって、視点を増やしていきましょう。