現代人特有の胸のつまりを抜いていく。
個別具体的なことはいちいち指摘しませんが、社会の方向性としては何か「正しい」ことがあり、それから外れるものは排除していく流れが強まっています。
多数派とされる意見以外は、認められにくくなっています。
そこから現代人特有の胸のつまりが生まれていて、不必要な行動規制が働いているので、それを抜いていこうという話です。
この「正しい」以外を排除する流れは、ここ最近はネット空間、メディア空間でも強まっていますが、ネット空間の前に、私たちの周りの物理空間でその兆候が表れていました。
アメリカの同時多発テロ以降に強まった流れですが、犯罪対策として街中に監視カメラが増えたり、↓のようなポスター・ステッカーが増えています。
街のあちこちで、にらまれる ……「にらむ目」ステッカーが我々に訴えかけるもの【さんぽの壺】|さんたつ by 散歩の達人
見られているかもしれないと感じることで、自分の心に抑制が生まれ、犯罪を抑止する力が生まれます。
犯罪を抑えるのに役立つのであれば、社会のためになっているのでよいのですが、犯罪以外の自分の言動やアイデンティティを不必要に抑制させる流れにもつながっています。
こうした自分を抑制させるからくりを哲学者のミシェル・フーコーが権力論として語っています。
【ミシェル・フーコー②】西洋哲学史 現代哲学解説【ポスト構造主義】【パノプティコン】 - YouTube
国家や会社、学校などの構造自体が権力を生み出してもいますが、私たちの心にある内なる監視者が権力を生み出していて、それらが双方向的に作用しているということでもあります。
「正常」に対して、「異常」や「狂気」といった括りに物事を分け、社会から排除したり、「正常」に同化するよう目に見えない強制を働かせるということです。
「安心・安全」で「クリーンな」社会という流れです。
フーコーには、人間は多様な存在だという考えがあり、それがこうした権力論につながっています。
人や物事を分類、整理したり、管理すると安心しますが、「ちょっと変」や「個性的な」物事をそれはそれとして受け止める考え方もあります。
フーコーは歴史を研究していて、その中で古代人の考え方を私たちに提示しています。
なんで古代かというと、
だからです。
同性愛とか人種など自分のアイデンティティやレッテルで物事を切り分ける前の状態が古代という時代だからです。
現代人の在り方が、「正常」という基準からずれているかどうか、生まれながらの罪人のように自分を「正常」という基準に当てはめ、永遠に見比べるような状態になっています。
古代はそうした切り分けがそもそもありませんでした。
不倫など個別具体的なことは、その都度個別具体的に反省はしますが、反省したらそれだけで終わるものでした。
罪悪感のようなものを常に抱えるわけではなく、その都度自分をコントロールするのが古代人の考えだとフーコーは分析していました。
こんな感じで、フーコーの分析による現代人の前提がなんとなく分かったところで、ワークに入ります。
「現代人」でもいいし、「反省し続ける自分」でもいいので、それを思い浮かべます。
すると、前回と同じように、胸の辺りにもやもやがでてくるので、口と喉を開けて、気の通りを良くし、出していきます。
僕も含め、フーコーの力を借りないとなかなかここまで今の自分を縛るものというのに気づきにくいと思ったので、今回記事にしました。
現代思想入門 (講談社現代新書) | 千葉 雅也 |本 | 通販 | Amazon
今回引用したこの本は、デリダ、ドゥルーズ、フーコーの3人を中心に今の私たちの前提にある現代思想を理解する良書でした。
わかりやすいんだけど、わからないという全てをわかった気にならない絶妙なラインの入門書でした。
現実は複雑なので、複雑なことを単純化しないで考えるように促しています。
本当に哲学や思想に慣れてない人は、「世界一わかりやすい〇〇」的な本や図解のある本から慣れていくといいかもしれないですが、難しさを知るのが大事だというのをこの本では教えてくれます。
細かいところ、わからないところは飛ばす、最後まで読まなくていいなど分かるところから複数回読んで理解していくという気楽なスタンスで読んでいって、現代思想のイメージがつかめる本でした。
先に述べた3人を中心軸に、ニーチェ、フロイト、マルクスやラカン、ポスト・ポスト構造主義など幅広く複雑だけど、わかりやすく解説しています。
私たちの思考、心を縛るものの前提に触れることができ、解放することができます。